ヒックとドラゴン(XpanD/吹替)を見てきた。

映画の日だったので見てきた。あらすじの紹介(ネタバレ含む)のあと、感想などを書きます。
大昔からドラゴンと戦い続けているバイキングの島があり、勇猛果敢な族長ストイックの息子ヒックはヘタレであった。ある夜、ドラゴンの襲撃の折、ヒックは汚名返上のため自前の投擲兵器を夜空にめくら打ちし、大物「ナイトフューリー」の撃墜に成功する。成果を確認するべく墜落地点に赴いたヒックは、投擲武器に絡まり動けずにいる「ナイトフューリー」を発見し、とどめを刺そうとするがヘタレなので失敗し、あろうことか縄をほどいて解放してしまい、しかし「ナイトフューリー」は怪我をしているので上手く飛ぶことが出来ず、そのうちに両者の好奇心と共感から、ある種の信頼と、友情のような関係が生まれてくる。ドラゴンの征伐が人々のアイデンティティーでもある世界で、ヒックとドラゴンに何が起こるのか。何をするのか。という話である。
ポジティブなメッセージに満ちた、大変に面白い映画であった。3Dならではの演出も効果的に使われており、飛行シーンの凄まじいスピード感や、海面の奥行きから伝わる海水の物量感など、特筆に値する場面がいくつもあった。XpanDでも十分な迫力があり、吹替も自然で素晴らしい。3D表現では、「アバター」がトップバッターにして決定的な作品となっているが、この映画の飛行シーンの迫力、飛翔感は、「アバター」の上を行くかも知れない。キャラクターは人形劇のように造形され、豊かな表情が見ていて楽しい。皮膚のテクスチャーには色気がある。ドラゴンは爬虫類的な獰猛さより、動物的な自由気ままさが強調されており、愛嬌がある。
見ている時の印象とズレがあるのだが、実はさして重大な問いかけを含んだ映画ではない。たとえば「寄生獣」とか「第9地区」のように、自らのグロテスクな利己性に直面し、アイデンティティーを揺るがす葛藤を経て、何かを選ぶ決断をするといった厳しい対立の構造は、この映画にはない。オチに関わる完全なネタバレになるが、ドラゴンは単なる動物であり、人間と食うか食われるかの緊密な利害関係にあるわけではないのだ。人間側が、ヒックの勇気によって身勝手な恐怖を引き下げると、悪いドラゴンの存在が発覚し、それを倒したら両者の関係が良くなりましたという、まとめてみれば意外に単純な話でもある。
それで、この話が陳腐に見えるかというと、別にそんなことはないのだった。その理由は、作り手が「どこまで語るか」「どう語るか」を明確に定めているからだろう。「意外に単純な話」の実態は、言ってみれば「何千人も殺され、何千匹も殺した」という血の歴史の最終局面であるが、映画には死体のひとつも出てこない。「ドラゴン訓練」も、ミスしたら死んじゃうような壮絶なものだが、あえてコミカルに描かれている。この映画の作り手は、死を誤魔化しているのではなくて、明確な意志の元にオミットしている。伝えるべきことを、よりクリアに伝えるために。アニメーションならではの表現というのは、こういうものだろう。はっきりと子供向けではあるが、大人が見ても思うところのある、面白い映画だった。

海の写真つづき


2010年8月11日。オリンパスμ[mju:]-II。KODAK EKTAR 100。海の写真。ネガフィルムを使っているとは言え、さすがに太陽に向かって撮影しているので、どう露出しても白飛び黒潰れが発生する。なので、事後的な画像処理で相当いんちきをしている。デジタル時代の驚異だ。良い時代になったと思うが、自分のような素人は作意というものが最初から無いので、「いじれる」となるとどこまでもいじりたおしてしまい、完成画像というものが分からなくなる。そう言う意味では素人には厳しい時代になったとも言える。

トイ・ストーリー3(XpanD/字幕)を見てきた

水曜日だったので見てきた。あらすじは予告編で流れている通りのもので、意外な展開や脱線のようなものはない。が、ディテールがあまりにも凄いので、ネタバレ程度では面白さがビクともしない。全編に新鮮な驚きとスリルがあり、作り手の熟考に支えられた揺るぎのないモラルがある。しかも全く説教臭くない。アメリカ映画のひとつの理想型だろう。
おもちゃを通して語られるモラルは、特に「ストロベリーのにおいのクマ」ロッツォの行く末に顕著だが、一面的な因果性、勧善懲悪の原理を克服しており、凄みがある。怨嗟と復讐がめぐる因果応報を、より上位にあるポジティブな因果で破ってみせる(ことをほのめかす)終わり方は、まあ、見事としか言いようがないものだった。苦さと希望を残しつつも決して語りすぎない態度に、作り手の大人度の高さを感じた。
人間が死ぬのと同じように、おもちゃが究極的に行き着く因果の終点というものは、ある。どんなに持ち主に愛されようと、やがて辿り着く場所である。おもちゃたちは、そうした因果の終わりを一度目にする。その光景がものすごい。おもちゃの演技もものすごい。大人向けの映画であれば、おもちゃが無惨に廃棄・破壊される様子そのものを描いて「無常なものですね」とやれば済んでしまいそうなものだが、「トイ・ストーリー」は全年齢向けの映画なので、そういうことをしない。おもちゃの宿命や諦念や覚悟を、おもちゃの表情や仕草や演技で、とにかく丹念に描いてみせる。これがもう、本当に息を飲むような表現になっていて、こりゃすごい映画を見ているな、という感覚があった。ただ不条理を受け入れるみたいなシーンにせず、むしろ条理の終点を見ることの怖さのようなものに、ちゃんと向き合っている。
「我々には避けがたい宿命があって、その日が来るまで、ひたすらに良く生きるしかないのだ」というメッセージがあれほどまでに強く伝わるシーンは、近年見た覚えがない。

海水浴に出かけた/頭を縫った

友達と海水浴に行ってきた。


看板が黒潰れして見えなくなっているが、駅の写真。このカメラは真夏の太陽の下に持ち出すと確実に光線漏れする故障を抱えており、そこが非常に気に入っている。どこから光が漏れているのかはよく分からない。


海の写真。ここから2〜3分歩くと砂浜がある。波は強いが遠浅なので、溺れる心配があまりない。しかも繁華な土地から適度に離れた場所にあるので、人口密度がとても低い。良い海水浴場なのです。


そんなわけで、「贅沢に波を独り占めだぜ!」みたいな気持ちで海水とジャブジャブ戯れていたら、波にあおられ水底に頭をぶつけ、血みどろ、という大惨事に見舞れわた。頭を怪我すると、とにかく大量に血が出る。らしい、という話は聞いていたが、まさかあんなに大量に出るとは。知らなかった。わりと本気で「あれ、これはちょっと血が出すぎではないか、もしかして本当に死ぬんじゃないか、あっけないな俺」などと思った。おそろしかった。頭の傷は4針縫った。お医者さんありがとう。
2010年8月11日。オリンパスμ[mju:]-II。KODAK EKTAR 100。いろいろあったけど楽しい一日でした。

(500)日のサマーを見た (BD)

TSUTAYAblu-rayを借りて見た。羅生門スタイルというかデ・パルマスタイルというか、ちょっと変わった方法で恋愛の一部始終を眺める。主演は「インセプション」にも出演していたジョセフ・ゴードン=レヴィット。相手役は「ハプニング」とかに出ていたズーイー・デシャネル。目が怖い。
映画における時系列操作という方法は、通常、物語の断片を劇的に収束させる効果を狙って用いられるものだが、この映画にあらわれる断片は、あまりどこへも収束しない。時系列は意図的に散漫に配置され、主人公が散漫に記憶を反芻するように、観客も散漫に記憶を追体験する。語り口そのものに感心してしまうような鮮烈さはないが、リラックスした感じが映画に持続し、よかった。ミュージカルのシーンもあり、これも凝っていて楽しい。
で、これがある種の教訓話、あるある話を超えた内容になっているかと言われると、まあ、なっていなかった。サム・メンデスの「レボリューショナリー・ロード」とか、スティーブン・フリアーズ の「ハイ・フィデリティ」は、やっぱり凄い映画だったんだなというのが、本作の感想である。また、イギリス人監督とアメリカ人監督の感性の違いかも知れないし、単に監督個人の感性の違いかも知れないが、挫折の後の達観が、諦念というより自己肯定(というか、稚気にも近い)の気配を帯びるのは、何となくアメリカ的だなあ、と思わないでもなかった。これは偏見だな。
ところで「JUNO」を見たときにも思ったのだが、いわゆる渋谷系アメリカ人像というものを、最近のアメリカ映画では結構見る。「特別な自意識」という幻想を誇らしげにひけらかす精神は日米共通で、恥ずかしいながらも何だか共感するところがあるのだが、アメリカの場合はどこかヤッピー的なムードがあり、どうも気持ちが悪い。階層を意識させるからだろうか。ある種の拒絶を感じた。