イン・アメリカ 感想

今更見てきた。
この日記でも何度か書いてるし、また実際に俺を知っている人には周知の通り、俺は偏屈な娯楽映画至上主義者であり、またそれ以外の映画を徹底的に嫌う非娯楽映画差別主義者である。いわゆるアート映画のようなものも実は嫌いではないのだが、ハリウッド映画の基礎体力の高さを全てカネの問題で片づけようとするバカがあまりにも嫌いなので、そうした非主流系の非娯楽映画で中途半端に下らないものは必要以上にブッ叩くことにしている。そう言う映画を好む人って理不尽にハリウッド映画を低く見るじゃないですか。納得いかねえよ。ハリウッド映画を馬鹿にしてる暇があったら、日本映画の惨状を呪ってくれよ。
愚痴はそのぐらいにして、久々に大作っぽくない映画です。爆発もしないしヘリも飛ばない。時代は多分80年代中期頃。*1 アイルランド移民の家族の物語である。旦那は俳優志望の冴えない男。いい年こいて夢を追ってる世間知らず・・・と言うよりは、現実を直視するのが苦手なタイプなのだろう。夢と言うより惰性なのかも知れない。オーディションを受けては落ちまくり、はっきり言って無職である。激しく身につまされる。奥さんは教師の仕事が見つからず、近所のアイスクリーム屋で生活費を稼いでいる。(不法)移民だし、旦那の仕事もないし、当然貧乏だし、更に心にも大きな痛手を負っていて、何と言うかもうズンボロな状態なのである。天使のように可愛い二人の子供達はそんなこと気にせずはしゃぎ回っていて、それが心の支えなんだけど、それにしたってもうズンドコである。水木しげる曰く、「この世で最も怖いものは幽霊でも妖怪でもない。貧乏だ。貧乏は笑顔を奪う。笑顔があるうちはまだいいが、笑顔がなくなったらもう終わりだ」。彼らは掛け値なしに貧乏である。そして彼らを覆う哀しみは、その恐ろしい貧乏だけではないのだ。哀しみは彼らを押し潰す。子供達は相変わらず無邪気に無敵だが、夫婦は今にもぶっ潰れそうだ。彼ら家族に救いはあるのだろうか?救いがあるとすれば、一体何が彼らを救うのだろう?と言う話。
いや、正直参りました。始まって最初の2分は後悔していたんだよ。「ああ、やっぱり都内まで出て何か爆発したりヘリが飛んだりする映画を探して見るべきだったか」って。でもね、最初の数分のグニャグニャした謎映像が終わって以降はね、何かもう、おじさん久々に映画観て根底から心を揺さぶられた。俺が現在無職でどうしようもないってのもあると思うんだけど、お祭りのボール投げのシーンとかね、もう内臓を握りつぶされて吐くかと思うぐらい身につまされた。職がない、居場所がない、俺は幸いにして心に痛手は負ってないけれど、誰も幸せにできないし自分も幸せになれない、そういう彼らの無力感が痛いほど分かりすぎて、グッタリするほど感情移入してしまった。それは貴様の特殊事情だろうと言われそうなので補足しときますが、この映画は単なる無職嘆息映画でもないし、貧乏哀しの残念映画でもない。さっきも書いたけど、彼らを包んでる不幸はそういうものではないのだ。それは無職じゃなくても誰もが分かり合える、痛ましい哀しみだ。彼らを救い、補ったものは、一体何だったのか。是非見届けて欲しい。 ・・・文章で書いてもネタバレにはならないだろう、これは祈りについての映画であり、人生を再起動させる奇跡についての映画なんだ。同時に移民や人種の問題を扱った辛口の社会派映画でもあり、それら全てを絡めながら、しかも押し付けがましくない「おはなし」として成立させている!見事だ。とりあえず観よう。普段アクション映画しか観ない俺のような人間にもあえて薦めます。この映画は良い映画です。
蛇足ながら、パンフレットに載ってる越智道雄の文章がとても良かった。興味がある人は買って読もう。映画観たあとでね。
最後の最後に個人的なサプライズをひとつ。クリスティ&アリエル姉妹を演じたサラ・ボルジャーエマ・ボルジャーですけど、この二人って実の姉妹なんですけど、大昔に俺が3週間だけお世話になったオーストラリアのホストファミリーんとこの姉妹と名前も順番も同じだよ!サラ&エマ姉妹!苗字は流石に違うけど、でも年齢は当時大体同じぐらいで、あそこまでは可愛くなかったけどまあそんな年齢だから年中はしゃいでるのはそっくりで、エンドロール眺めながらすっごく懐かしくなってしまった。全然連絡取ってなくて現在完全に音信不通ですよ。この恩知らず。職が決まったら挨拶行こうかな。夏休みとか使って。忘れられてて追い払われるに2000ペリカですよ。

*1:舞台として設定した年代をハッキリ示さないのも脚本上の仕掛けになっているので、一応伏せています。