熊井啓 「日本列島」(1965)

死ぬほど詰まりませんでした。確かにこれは「社会派映画」かも知れないが、「社会派サスペンス」ではない。日本映画には疎いが(と言うか映画全体に疎いが)、黒沢明の「天国と地獄」(1963)がいかに芸のある映画だったのかを思い知らされた。
1960年代と言う時代を背景に、日米安保治外法権パワーによって何もかもが闇に葬り去られると言うお話である。具体的には米軍基地の将校が不審な死を遂げたので通訳の秋山が調査を依頼されたが、何だか分からないパワーによって次から次へと手がかりは断たれ、これでいいのか!日本!と、まあただそれだけの話である。新事実が怖いぐらい唐突に提示されては矢継ぎ早に闇へと葬り去られる、そんなことを延々と繰り返し続けるので、黒幕的存在の恐怖とか不条理感を描いたリンチっぽい感性の映画なんですか?と思いたくもなるのだがどう贔屓目に見ても全然違う。やっぱりこれは厳然とした社会派映画なのである。貧しすぎる。
政治的な映画は風化する。風化しない政治映画もあるが、概ね風化する。なぜかって、そこに展望がないからだ。日米安保反対!」ああ、結構な話だけどじゃあ一体お前はどうしたいの?映画「日本列島」では、謎のパワーによって葬り去られた主人公・秋山(そう、結局こいつまで死ぬのだ)を悼んで、「彼の死を無駄にしたくはない、だから私は学校の先生の仕事を続けるわ」みたいなことを抜かす気持ちの悪い女教師が最終的に登場する。こうして電波系ポリティカル教師がまた一人誕生した!ですか。いや、別に先生が普段何考えてようと知ったことじゃないけどさ、そんなオチでしたか。
ちょっと話が飛ぶけれど、目の前にある理不尽さに向かって吠えるだけなら犬にだって出来るのです。しかし最も不条理なものは常にその先にある。日本における「社会派」が伝統的に気持ち悪いのは、そうした不条理さに立ち向かおうとしないからだ。セクト的な理想に簡単に身を委ねてしまうからだ。と言うわけで、実に醜悪な映画だった。