成人式雑感

先日、例年のように成人式があり、日本のハタチの一部が乱痴気騒ぎを繰り広げ、それをテレビが面白おかしく報道した。この報道を俺は毎年とても楽しみにしており、特にここ2〜3年は沖縄からの映像が圧倒的な面白さであると感ずる。もちろん様々な要素が組み合わさって醸造された結果であろうと思うので、別に「沖縄はアホの名産地である」とは思わない。日本の社会が育んできた若者性が、たまたま沖縄において最大限に観測されているだけだろう。奇妙な眺めではあるが、別に悲しくもないし、もはや不快でもない。ただ面白い。それで良い。
抑圧されていない若者は辛い。抑圧は人生の不可能性を優しく隠蔽してくれる。抑圧の庇護のもと、自分の無能さに気づかないまま試行錯誤できる時間が、少なくとも我々凡人の十代には必要であった。何もかも抑圧のせいにしてアレコレ試してるうちに、人は自分の無能さに立ち向かう度胸を手にするのだ。そんな優しい時間がハタチの成人に必要なのかと問われるとやっぱり疑問であるし、あんな形で試行錯誤されても困ると言われれば俺も困り果ててしまうのだが、まあ彼らはやらずにおれなかったのだろう。
成人式はそんな彼らのための奇行祭りとして定着すれば良い。偉い人たちも「遺憾である」とか残念なコメントを残すのは止めにして、負けずにそれを上回る激しい奇行で対抗すれば良い。とても楽しい祭りになるだろう。予告なく式場に猛獣を放つとか、壇上から龍星花火を次々に打ち込むとか、若者にとって強力な仮想的として君臨してきた抑圧の正体が完全に蒸発してワケがわからなくなるぐらい意味不明な行事にしてしまえばよい。若者達が「何なのだこれは」と考え込むぐらいの阿鼻叫喚、どうとも解釈できない徹底した意味の無さが望ましい。抑圧が取り外された世界は恐ろしく広大で何をしていいか分からない。新成人に少しでもそんな不安を味わってもらえれば、また彼らを抑圧と言う庇護から放逐する機会になりさえすれば、多少は意義のある祭りにもなろう。
自分にとっては過ぎてしまったことなので、眺めていて面白いのが一番なんだけど。