ジャーヘッドを見た

サム・メンデスの三作目にあたる「ジャーヘッド」を見てきた。監督にとって撮影がコンラッド・ホールでない初めての映画であり、これで面白かったら本物だよなあと思って見に行ったら面白かったのだった。撮影はコーエン映画でお馴染みのロジャー・ディーケンスが担当した。ハイキーだけどギリギリ飛ばない映像美の人である。
舞台は91年の湾岸戦争である。宣伝どおり主人公が誰も殺さない戦争映画であり、ボビー・マクファーリンマーク・ボランの曲が流れる脱力気味のCMはCMとしてとても正しい(後半で深刻っぽくなる点には難があるが)。非常に良く出来た映画なので、現代の戦争のワケの分からなさを体験したい人は是非とも映画館に足を運んでいただきたい。一応言っておくと決してデート向きの映画ではないし、R-15指定であるし、主人公が誰も殺さないと言っても戦争映画は戦争映画である。注意が必要だ。
以下、感想とともに劇中のイメージにいくつか触れるので、フラットな気持ちで映画館に行きたい人は観た後で読んで下さい。それとオマケをひとつ、事前に知っておいて損はない戦争についてのトリビア。映画を見るなら本文よりも必読です。

ジャーヘッド」は様々な映画によく似ている。が、それについてはサム・メンデスはもちろん登場人物さえも自覚的なようで(海兵隊員たちは「地獄の黙示録」を鑑賞して熱狂するのだった。このシーンのジェイク・ギレンホールの演技は素晴らしい)、結果として現代の戦争を極めて現代的に描いた必然性のある映画に仕上がった。映画や映像に対してメタな態度を保てる感性は、異業種出身のサム・メンデスならではのものかも知れない。
兵士達は緊張と弛緩と麻痺を激しく繰り返しながら、戦争への拒絶や順応を示し、あるいは居場所を獲得し、兵器化し、最終的にSF的とも言うべきイメージと対峙する。こう書くとまるで「フルメタル・ジャケット」そのものだが、両者の印象はかなり異なる。「ジャーヘッド」の特異さは、戦争の外にある日常が憧れとしてではなく現実として徹底的に存在し続ける現代の高度な戦争を描いた点にある。湾岸戦争はあらかじめ長期化・泥沼化の可能性が徹底的に排除された戦争であった。そしてそのことは兵士達も知っていた。圧倒的な軍事的優位を背景に、ベトナムのような厭戦気分も遂に起こらず、ヒューマニズムニヒリズムも介さずに客観視できる初めての戦争となった。その特異さに目を付けることでサム・メンデス戦争の普遍的な変さを引き出すことに成功したのだった。
最初に「様々な映画によく似ている」と書いたが、戦争映画以外で連想したのは「ファイトクラブ」と「ブレードランナー」であった。ジャーヘッドたちはまるでスペースモンキーのようであったし、高度な戦争とはあらゆる意味で代替的で、まるで自慰的なのだった。また先述の「SF的な風景」を見たときに思い出したのは、「ブレードランナー」に登場するレプリカントのボス、ロイが語った宇宙の果てのC-ビームやらタンホイザーゲートのことであった。彼らが眺めたのは多分ああ言う光景だったのだろう。迷子の馬はデッカードが夢で見た一角獣のようであった。一角獣にしては角が折れていたが…とまあ、とにかく色々な映画に似ているので、あなたも色々なことを思うだろう。誰もが見たことがあるが、誰も見たことのない―そう言う戦争映画である。
サム・メンデスはデビュー以来の連続ホームラン記録を更新中である。ミュンヘンも面白かったが、両方見るつもりなら「ジャーヘッド」を後に回した方が良いだろう。それ程インパクトが強かった。完全ではないにせよ、とても面白い映画だった。