はてなワンワンワールド

はてなの実験的サービス「はてなワンワンワールド」で遊んでみたのだが、遊び方がサッパリ分からず途方に暮れた。googleマップを使用した地図の上を、犬の形をしたアイコンで散歩すると言う目的不明のシステムで、「おしゃべり」欄に文字を入力すると吹き出しにコメントを表示することができる。地図上を蠢いている犬は自分だけではないので、人の多いところに行くと画面上は犬と吹き出しだらけとなる。
誰もが一様に「わんわんわんわん」と言い続けているのでこいつら頭おかしいんじゃないかと本気で思いかけたが、しばらく遊んでるうちに自分のコメントも他人から見たら全て「わんわん」なんだろうことに思い当たった。ヘルプを参照すると

はてなワンワンワールドのヘルプ
はてなワンワンワールドとは
いぬになって世界中を走り回ったりおしゃべりしたりできます。
ともだちシステムについて
マップ上にいるいぬのプロフィールアイコンをクリックするととおともだちになれます。
お友達になると、自分のことばを相手に伝えることができます。
そのた
最大、またはそれに次ぐズームしないと他の人は見えません。
続きは後で書きます

なんだそうで、要するに「ともだち」にならないと「おしゃべり」欄に何を入力しても他人からは「わんわん」にしか見えないのであった。間違ってるかも知れないが多分そうだ。「チャット」と言う無作為なシステムに、地理的な偏向と言う要素を付加したアイデアはとても面白い。地元を徘徊していれば同じように地元を徘徊している見知らぬ友達が出来るかも知れないし、ちょっと変わったところで出くわした人同士で盛り上がることも可能だろう。
が、「ともだち」にならないと他人とコミュニケート出来ないというシステムにはちょっと首を傾げた。コミュニケーションの密度や品質をある程度のレベルに保ち、言いたい放題の無法地帯になるのを抑制する効果があるだろうことは理解できるが、多少の排他性・閉鎖性を孕んだシステムであることには間違いがない。IDを閲覧できるだけで充分ではないか?その点ちょっと受け入れがたいのだった。同様の理由で俺はmixiも嫌いである。
ネットにおいて個人とは、都合よく匿名性を維持され、同時に都合よく自己の連続性を主張できる存在であるべきだと俺は思っている。開放された存在でありながら、連続性と非連続性のメリットをどちらも選択的に享受したいのである。コミュニケーションのリスクも最低限に抑えたい。が、最近はmixiを初めとして、そうした「都合の良さ」のハードルが高めの(非連続性を排除した)サービスが人気であり、俺はどうにもついていけないのであった。
ユーザーの意識が鍛えられたのか、ネット人口が臨界点を超えたのか(恐らくその両方なのだと思うが)、自分が宿命的に抱えている性格上の問題=内向性がネット上においても顕在化しつつあることを最近ヒシヒシと感じている。パソコン通信の時代からこうした内向性に基づく疎外感は存在していたんだろうけど、当時は「物好きが群れている」と言う共同体意識が今よりずっと強かったし、個人が特定される可能性や恐怖も、連続性を強いられる憂鬱さも、今ほどは意識されなかった(それ程ネットが身近じゃなかったし、そんなサービスもなかった)。理想化するわけではないが、俺みたいな性格の人間にも結構過ごしやすかったのだ。
サービスが高度化・複合化するにつれ、ネットにおける個人の非連続性は否定されていく。こうしてネットは現実に近づいていく。と言うか、もともと現実の一部であったことが今後どんどん露呈していくであろう。ネット弁慶にも才能が必要になる時代がきっと来ますよ。
ワンワンワールドに話題を戻すが、もちろん散歩ツールとしては非常に面白く、富士山やディズニーランドを徘徊して旅情を満喫した。色んな意味で不安定さが目立つ今が一番面白い時かも知れないので、みんな是非遊んでみよう。