音楽の聴き方について

昨日の話。テレビを見ていたら、NHK爆笑問題の番組に、坂本龍一が出演していた。
坂本龍一という人を、つい先日まで自分は誤解していた。正直に言えばあまり好きではなかったのだが、一昨日ぐらいに偶然「B-2 Unit」という1980年に出たCDを初めて聴いて、自分の不見識を呪いに呪っていたところだった。いや、恥ずかしながら、聴いたことがなかったのです。
自分にとっての坂本龍一とは、YMOと映画音楽の人であり、千のナイフの人であり、最近では商業的ピアノ・インストとCM音楽の人であり、西洋音楽の英才教育を受けた天才の類なのだろう、ということは存分に了解しつつも、そんな持てはやすほどの人なのか、などと思っていた。YMO細野晴臣の音楽的野心と高橋幸宏のポップさの賜物であって、坂本龍一の役割は、多分鍵盤が上手いということだ、とか、何しろファンによる「教授」というニックネームが気持ち悪く、またアカデミックな素養を持ったインテリを見ると悔しくなるので、無根拠に過小評価することに躍起になっていた部分もあった。
で、最近「B-2 UNIT」の音を聴いた。

これを聴いて突然思ったことは、坂本龍一という人は、西洋音楽の結晶である自分自身を否定しながら音楽を眺めることを望んでしまう、いわばデビルマンじみた、非常に面倒なタイプの音楽家なのだなあ、ということであり、そうした自傷的な酔狂をマゾヒスティックな意図からではなく、単なる探求心によって突き詰めたくなる人なんだろうなあ、ということであり、要するにやっぱり天才なんだろうなあ、ということであった。多分この人を縛っているのは、「作曲は楽器に規定される」という音楽の歴史そのものであり、それを完璧にこなせる素養と技術を備えながら、その外側にある音を聴いてみたいと願望している。ダブとかブレイクビーツといったものに、ポップミュージックやエスニックといった場所からではなく、恐らく(自身の基盤である)西洋音楽の方面から接近して、これだけのものを、しかも1980年に突然作り上げるということは、並大抵のことではない。
などと考えているときに、NHK坂本龍一が映っていたので、急いで見た。爆笑問題と対談のようなことをしており、田中と太田は「お気に入りの音楽」を持参して、坂本龍一に意見を求めたりしていた。彼らが選んだ曲は以下のURLで確認できる。

田中は楽しい音楽が好きで、太田は出自不明というか、とりとめのない感じだった。これらについての坂本の態度は明快で、歌謡曲が孕む独特の大衆性や、コミュニケーションツールとしての側面を、わりと積極的に嫌悪しつづけてみせていた。単純に音色として歌謡曲が嫌いなのかとも思ったが、後半で相対性理論の「テレ東」を流し始めたりしたので、どうやらそうでもないようだ。
坂本龍一は、番組の前半に古楽民族音楽を流し、後半にASA-CHANG&巡礼の「花」、ジョン・ケージの「4分33秒」、ボブ・マーリーを流した。たとえばこれは、「音楽には楽器によって規定されたフォーマットがあって、歴史はそのフレームを見えなくすることがありますよ」「民族音楽や、ポップミュージックを含む現代音楽の一部には、それを見えるように思い出させてくれるものがありますよ」「音楽が感情の乗り物だとしたら、見えないフレームに収まったものを気づかずに操縦しているだけじゃ、詰まらなくありませんか」という啓蒙なのかな、とか思ったが、これは若干考えすぎかも知れない。
一方の爆笑問題は、音楽の大衆性やコミュニケーションツールとしての側面にしか興味がないようで、その良さについて「普段言えないようなことでも歌詞として伝わるじゃないですか」などと訴えていた。にもかかわらず、太田がお気に入りとしてジャズを流したのは一体なぜなのかと考えると、「ジャズを聴く」ということが他人に対して何らかの符号として機能するからお気に入りだと考えてるからにちがいなく(音色には興味がないようだし)、たしかにそのような音楽の聴き方というのはある。俺もする。お洒落な音楽を聴いているからお洒落ですねと思われたいし、凶暴な音楽を聴いているから凶暴と思われたいことがある。音楽にはそのような機能もある。
が、生まれついての個人主義者のように見える坂本龍一とは当然話が噛み合わず、話題はどこへも進まなかった。爆笑問題の感性もかなり凄くて、ASA-CHANG&巡礼の「花」について、「これはふざけているのか」「笑ってしまうのだが、どうしたものなのか」などと述べ、そうした音楽を聴かせた坂本龍一を評して、あなたは音楽に対して冷笑的になっているのではないか、ふざけたポップミュージックじゃないと許容できなくなっているのではないか、というようなことまで述べていた。坂本龍一は能面顔で微笑んでいたが、一体どんな気持ちだっただろう。両者の間に不気味なほど接点がないまま、和やかに番組は終わっていった。
番組が終わった後に色々とモヤモヤ考え、「爆笑問題、度し難し」などとも思ったのだが、絵にしろ音楽にしろ、楽しみ方や用途は沢山あるもので、何らかの文脈の上に載っけて眺めないと意味をなさないものもあって、彼らが用いる文脈の中では役に立たない音楽があって、俺が用いる文脈の中では役に立たない音楽もあって、多くを語らず能面顔で微笑んでるだけでそこまで考えさせる坂本龍一の選曲は、結構すごいと思ったのだった。