アバター IMAX 3Dを観た

キャメロンの最新作、「アバター IMAX 3D」(字幕)を観てきた。109シネマズ川崎(座席表PDF)の最前列(E列)中央という、希望通りの場所で鑑賞することができたが、結論から言うとわりと見上げる形になり、首が疲れた。あの距離で、画面中央の高さで観られたら最高なのに。個人的にはG列の中央をお勧めしておきます。最前列も楽しいですよ。少なくとも見づらいという感じはなかったし、3Dも美しく、大画面の迫力を満喫できた。
キャメロンの3D映画に対する理解と技術が前面に押し出された映画であった。凡庸だが視覚的に見所の多いストーリーは、3Dを前提に結果的にたぐりよせられたものではないか。パンフレットを見たら「ちがう」みたいなことがわざわざ書いてあったが、それは多分見栄である。
おそらく最初にあったのは、「俺が3Dで撮るべき長編映画はSFアクションで、舞台は宇宙だろう」という直感で、たしかキャメロンは火星を舞台にしようとしていた。で、3Dを色々試しているうちに、「3Dの演出が際立つのは、遠近の情報が入り乱れる多層的な環境だろう」ということが分かり、じきに「それは密林だろう、架空の惑星が良いだろう、断崖が空中に浮いていたりするとなお良いだろう」ということになり、すると「ストーリーは原住民と地球人のダンス・ウィズ・ウルブズとかポカホンタスとかラストサムライあたりが相応しかろう(地球の兵器でドンパチできるし)」ということになり、さらに「人間が密林で右往左往しても絵面が地味なので、原住民は身長3メートルぐらいにしよう」ということになり、さらに「フォルムとアクションが際立つように、手足を長くして尻尾をつけて、肌は青くしよう」ということになったのではないか。凡庸なストーリーの裏には職人芸的あざとさがひしめいている。
また、生物の意識が惑星レベルでネットワークされているというSF的発想はとても面白かった。シガニー・ウィーバーが惑星意識と繋がるシーンはまるで攻殻機動隊で、うわ、まったく同じ演出をやるのかしら、と思ったら一線は引いてあって、そこにキャメロンの節度とか照れのようなものを強く感じた。よほど好きなのだろう。この映画を観たあとの押井守は「完敗だ」と宣言していたが、その気持ちは分かる。
欠点もある。全体のストーリーは置いておくとして、その他の部分における欠点である。映画の欠点と言うよりキャメロンの性格上の問題という気もするが、相変わらず軍隊が(両陣営ともに)無策である。そして相変わらず、悪人の考えが変わらない。ジョヴァンニ・リビシが多少苦しそうにしてるシーンが入っていたのには驚いたが、もう少し何かあっても良いだろう。
そうしたキャメロンの悪癖の一例を挙げると、たとえば原住民サイドに、つのだじろうの漫画に出てくるような顔をした、ライバルっぽいキャラクター(ちょっと嫌なやつ)が登場する。彼もまた、最後までやっぱりちょっと嫌な感じであり、主人公との感情的な和解は結局描かれない。主人公とは「部族として」結託し、儀式的なレベルでの敬意・忠誠心を持つに至るものの、友情で結ばれることはないのである。こういうのは何だろうなと思う。つのだじろうは首にスカーフみたいなものを巻いていて、ちょっと洒落てるんだけど、主人公に「あの首飾りは格好いい、真似したい」とか言わせるとか、つのだじろうがそれを知って微笑ましく思ったりするとか、そういうシーンを入れるだけで随分印象が違うと思うのだが、キャメロンはそういうことを決してしない。ネガティブな脇役の扱いが常に厳しい。ネガティブなキャラクターは一貫してネガティブに扱おうとする。成長は主人公だけに許されていて、主人公のライバル、敵、障害と見なされる人間は、感情的に成長したり、変化したり、それによって救われることを、ほとんど許されない。「T2」のダイソンが爆死したときに疑問を抱き、「タイタニック」のキャル(ローズの婚約者)が絶望的に死んでいったときに「なるほどな」と思ったことだが、キャメロンにはこういった人物の扱いについてある種の(病的な)確信があるようだ。
ともあれ見世物として本当に圧倒的なクオリティで、技術的なパラダイムをひとつ超えていったような感のある、凄い映画であった。近所にIMAXシアターがあれば必見でしょう。ディズニーランドの「スター・ツアーズ」に初めて乗った時のような「なんだこりゃー!」感がオッサンになっても味わえるというのは、本当に物凄いことだ思う。「タイタニック」に続いてこれをやり遂げたキャメロンの豪腕には、唖然とするほかない。
最後に、キャメロンの「強い女が好きとか巨女が好きとかよく言われるが、本音を言うと人間じゃなくてもいいから、いっそ身長3メートルぐらいの、半端なく巨大で、無茶苦茶に強い女が理想だ」という魂の叫びが聞こえてくるようで少し怖くもあった。