時をかける少女を見た

yoyoyo2010-03-16

仲里依紗の容姿を特別なものにしているのは、鼻かもしれない、いいや、たまに一重のように見える目だ、などと不気味なことを考えたりするためのヒロイン映画であり、映画の内容とは関係なく名作であった。理由は仲里依紗が可愛いからです。他の役者さんも好演しており、その点は見ていて気分が良かった。特に面白かったのは勝村政信の青年時代で、見た瞬間にそれと分かる佇まいだった。笑った。
映画の内容を考慮しながら感想を述べると、まあ、何というか、限りなく「最近の日本映画っぽい水準の映画」だった。というのはつまり、「ある種の諦めとともに眺めるべき水準の映画」ということです。
タイムトラベルという題材を扱っておきながら、SF的な執着が全く感じられない脚本に首を傾げる。感動的なシーンから全体を組み立てようとして、細部の検討なんてすっとばして書き上げちゃったんだろうな、という杜撰さが、全編から滲んでしまっている。SFで、ましてタイムトラベルもので、それは流石につらいだろうよと思う。ロジックが煮詰まっていないので登場人物の行動は不自然に見えるし、すると感情も繋がって見えない。未来人は存在自体がギャグに見える。ビル影から躍り出てくるシーンとか、あまりに酷くて驚愕してしまった。正気かよと思う。
それといちいち書くのもかったるいことだが、タイムトラベルのCGとか、未来人の姿形とか、仮にも劇場公開映画を任せられるようなクリエイターの皆様がですよ。こんなレベルの仕事で「できた!完成!」と思えるものなのだろうか。だとしたら、逆に感心してしまう。予算とかの問題ではないだろう。アラビア数字がゾロゾロ出てくりゃタイムトラベルでしょうという発想が問題なのだ。観客は映画を見にきてんだから、ちゃんと驚かせたり納得させたり、してくれ。
SFとしての杜撰さの一方で、登場人物はそれぞれ異様に造形されており、そのへんのこだわりは(ほとんど意図が掴めないという不気味さも含めて)面白かった。最も異様なのは主人公の両親で、「ある種の因果は巡るのだ」とでも言いたげな、不気味な暗示のようなものをおびただしく撒き散らしながら、譫言を言ったり、蒸発同然だったり、とにかくひたすらに変だった。彼らが形づくる感情の結びつきは、通常のヒロイン映画、恋愛映画の範疇を遙かに超えた異様さで、脚本家の関心も実はそっちに向かっていることが見ていて分かる。安田成美は静かに狂っているように見える。が、そういう狂気って誰にでもあるよね、という映画なのだとしたら、作り手の目論見は成功しているのかも知れない。
・・・ちょっと誉めているふうになってしまったので書き加えておくと、そうした関心のズレのせいで、仲里依紗の旅路がさして切実なものに見えないという大きな失敗も生じている。ヒロイン映画でしょ。これ。
というわけで、仲里依紗が可愛かったので名作でした。