第9地区を見てきた

第9地区を見てきた。あらすじの後、ネタバレしつつ内容にふれます。
ヨハネスブルク上空に巨大なUFOが出現する。しかし何も起こらず、待てど暮らせど空中に静止したままなので、しびれを切らした人類が調査を開始すると、宇宙船の内部ではエビというか昆虫のような姿の宇宙人が大量に死にかけていた。どうやら遭難した宇宙人らしい。人類社会は人道的な要請から特別居住区を設けて彼らを地上に住まわせることにするが、とにかく見た目が気持ち悪い上に、粗暴だし、残酷だし、犯罪は働くし、色々と酷いので、一帯は瞬く間に荒れ果てて、スラムと化してしまう。そうした状況を20年間我慢し続けた近隣住民の不満は爆発し、宇宙人は新たな居住区(収容施設)に隔離せよという話が持ち上がる。その移送計画を請け負った民間軍事会社「MNU」の担当者、ヴィカスが映画の主人公である。
目新しいのは、人類と宇宙人が相互理解しない(できない)点で、この手の映画に多く見られる博愛的な空想は最初から退けられている。序盤以降、ヴィカスは宇宙人の立場を体験せざるを得ない状況に追い込まれるが、それによって宇宙人の共感者になったりはしない。ヴィカスはあくまで利己的に動き回り、それによって選択された倫理に従う。ヴィカスに限らず、この映画の登場人物は(宇宙人も含めて)全員が非常に利己的に動き回るのだが、それぞれに深い説得力があり、それぞれに単なる露悪以上の含みがある。それがいちいち面白い。同時にかなり怖いのである。これは凄いことだと思う。
「決定的に相互理解不可能な相手に思えても、実は分かり合えるはずだ」という映画ではない。「決定的に相互理解不可能な相手と対峙したとき、自分の行いが醜いかどうかを問いかける相手は、実は自分自身しかいない」という映画であると思う。安易な共感やヒロイズムを否定しつつ、それでいて単なる露悪趣味やニヒリズムにも陥らない優れた問題提起を、本作は娯楽映画の体裁で実現している。非常に見応えのある、よい映画だった。
クリストファーが人間的に見えるのは、ヴィカスが(そして我々が)、クリストファーの価値観を勝手に擬人化するからである。そして、その当てずっぽうが大きく外れていなかったのは、単なる偶然である。クリストファーが人間的に見えることによって、「我々は宇宙人のことを誤解していた。宇宙人は相互理解可能な存在なのだ。だから差別はいけないのだ」となるのであれば、その人はこの映画が示そうとしたものを大幅に掴み損ねていると思う。無自覚な人間中心主義は、無自覚な自己中心主義の暗喩である(ヴィカスは見ず知らずの宇宙人を「クリストファー」と呼び続ける)。ヴィカスは黒い液体を浴びることで、自己中心主義に無自覚ではいられなくなり、自覚を経た自己中心主義の果てにせりあがってくる倫理は、(驚くべきことに)利他的だったりもするのである。といっても、ヴィカスが行なうのは大量殺人であり、その動機は依然として自らの保身なのだけど。どの方位から見ても正しく見える倫理など、ない。あるとすればそれは嘘だ。
ユーモアはあるがグロテスクな描写が多いので、苦手な人は苦手だろうと思う。しかし、苦手な人にも是非見てもらいたい、傑作でした。