毎月20日は金村修

yoyoyo2005-08-19

毎月20日は「アサヒカメラ」「日本カメラ」の二大写真誌の発売日で、老年層を中心としたカメラファンは待ってましたとばかりにノコノコと本屋に足を運びます。僕もやっぱり足を運びます。両誌は内容的にはあんまり大差がなく、文字通り兄弟誌みたいなことになっているんですけども、一般的には戦前からの歴史を持つ「アサヒカメラ」の方が若干格上と見られており、どっちか一方しか置いてない本屋さんの場合は大体アサカメ、みたいな勢力関係です。しかし今年の「日本カメラ」は一味違う。アサカメなんて置いてる場合じゃないよ本屋さん。本当に、何が凄いって金村修が凄いのです。
両誌ともに、年間を通じて読者による誌上コンテストを行っておるのですが、「日本カメラ」の方でモノクロ写真部門の選評を行っているのが問題の金村修です。こうした地味な写真雑誌って、大体は年寄りとか俺みたいな駄目な写真ファンが買うものと相場が決まっているので、コンテストの講評も「○○を中心にした構成が的確でした。もう少し○○だと更に説得力のある写真になったでしょう。」的な日和ったものが当然主流なんですが、その中にあって金村修の孤軍奮闘ぶりはまさに異彩を放っていると言うか本当に異様です。ほとんど鬼気迫るものすら感じさせます。どのぐらい壮絶なのかは実際に読んで確かめてみてほしいのですが、たとえば
凄い顔で吠えている犬の写真への講評

この写真のどうしようもなさは素敵です。これだけどうしようもなく撮る作者の撮影態度に作家的狂気を感じます。世界の限界が指し示された感じすら覚えます。

「おままごと」というタイトルの母子の写真への講評

レンズが歪み過ぎです。母親の顔がこれではホラーです。

一時が万事、こんな調子なのです。実を言えば、こんなのはまだ序の口程度とも言えます。が、それでも不愉快どころかむしろ痛快な気持ちになってしまうのは、これが単なる悪意で書かれたものではなく、厳格な金村イズムに基づいた公正な講評であるからで、これはもうとにかく一度読んでいただくしかない。
最近コンテスト参加者も段々と金村イズムに適応しつつあるらしく、ドラえもんのバッタものみたいなキャラクターのハリボテを頭にかぶったビキニ姿のマネキンが荒野でポーズしてる写真とかが普通に金賞だったりして、しかもその写真の撮影者が82歳だったりして、もう面白くて仕方ない。金村修ありがとう。
金村修は言うだけあって圧倒的な写真を撮る写真家です。気になった人はAmazonあたりで写真集でも買ってみてくださいね。
関連:amazon.co.jpで金村修の写真集を見る

養老孟司先生世代の脳は狂っている

ちょっと前の記事ですが。

現在は時代の先端であり、ゆえに最も狂っていて、病んでいて、ワケの分からないことが次々と起こり、まったく世も末だ、みたいなことを言う全ての人々にお伝えしたいことがあるのですが、現在が時代の先端であったことは人類史上一度もありませんし、そのような感想と全く関係なく大抵の場合世界は存続しています。その時代が先端的であったかどうかは現在から少し時間がたってデータを分析する機会がない限り全く証明のしようがないことで、我々が直感で「現在が最も病んでいる」と思い込むとき、その感想には根拠など少しもないのです。
理解不能な「現代の病理」的なものに直面した際に大切なのは、安易に「世も末だ」論に撤退することではなく、まずは自分の立ち位置に発生しているかもしれない偏向の有無とその程度を自覚すること、そして過去に起こった同じような事例から現状を分析し対処を試みることです。
「インターネットで見ず知らずの高校生が申し合わせて一緒に自殺するから世も末だ」とオッサンどもが嘆く気持ちも分からなくもありませんが、そこで考えるべきことは「俺らは既に高校生じゃないし、高校生としてネットを使ったことがないし、そもそもインターネットなどよく分からない」と自覚することです。その上でなお「世も末」かどうか一度よく考えてみるべきなのです。「世も末」と言うのは「自分の知っている世界の終わり」であることが分かるはずです。「世も末だ」と言いながら未知のものに向かって匙を投げつける行為は非常に心地の良いものですが、こうした野次は自分の蒙昧さを自覚した上で吐くべきものだと思うのです。
俺の知っている世界もだんだんと終わりつつあり、また過ぎ去った物事は美しく見えますので、やっぱり「世も末だ」「最近の若者は」「昔はこうだった」などと言い出して自分の世代の局地的な絶対性を信じて疑わずその蒙昧な思い込みを他の世代に押しつけたりしかねないわけですが、こういうの、そろそろ終わりにしたいですよね。人類の歴史を振り返ってみるとどうやら無理みたいですけどね。残念ながら。
ここまで書いて最後に断っておきますが、「今も酷いけど昔はもっと酷かったから大丈夫」と言う発想も狂っていますので、そこは間違えてはならないと思います。言ってみれば我々の社会は常にどこかが病的であり、常に修正すべき問題が山積しているのです。また個々の事例の集積を世代論として単純化することは、世界が良く分からなくなりつつあるオッサンが犯しがちな間違いですが、表面上の安心は得られるとしても、かえって現状認識を難しくする危険を孕んでいます。
僕らがそんな大人になりませんように。新入社員に何とか族とか命名しはじめませんように。

小泉純一郎の人となりを示す8年前の出来事

小泉はパフォーマンスがいちいち鬱陶しいので見ていて非常に不愉快になる政治家の一人ですが、現在の民主党と言う集団は更に比較にならないぐらい嫌いです。無意味な野党は有害な与党以上に苛立たしい。小泉評価の記事と言うよりは、民主党しっかりしてくれよの記事として読んでもらえると嬉しいです。
バランスを取るために関連記事:日本経済まで「ぶっ壊す」小泉改革の幻想と実態 by立花隆