養老孟司先生世代の脳は狂っている

ちょっと前の記事ですが。

現在は時代の先端であり、ゆえに最も狂っていて、病んでいて、ワケの分からないことが次々と起こり、まったく世も末だ、みたいなことを言う全ての人々にお伝えしたいことがあるのですが、現在が時代の先端であったことは人類史上一度もありませんし、そのような感想と全く関係なく大抵の場合世界は存続しています。その時代が先端的であったかどうかは現在から少し時間がたってデータを分析する機会がない限り全く証明のしようがないことで、我々が直感で「現在が最も病んでいる」と思い込むとき、その感想には根拠など少しもないのです。
理解不能な「現代の病理」的なものに直面した際に大切なのは、安易に「世も末だ」論に撤退することではなく、まずは自分の立ち位置に発生しているかもしれない偏向の有無とその程度を自覚すること、そして過去に起こった同じような事例から現状を分析し対処を試みることです。
「インターネットで見ず知らずの高校生が申し合わせて一緒に自殺するから世も末だ」とオッサンどもが嘆く気持ちも分からなくもありませんが、そこで考えるべきことは「俺らは既に高校生じゃないし、高校生としてネットを使ったことがないし、そもそもインターネットなどよく分からない」と自覚することです。その上でなお「世も末」かどうか一度よく考えてみるべきなのです。「世も末」と言うのは「自分の知っている世界の終わり」であることが分かるはずです。「世も末だ」と言いながら未知のものに向かって匙を投げつける行為は非常に心地の良いものですが、こうした野次は自分の蒙昧さを自覚した上で吐くべきものだと思うのです。
俺の知っている世界もだんだんと終わりつつあり、また過ぎ去った物事は美しく見えますので、やっぱり「世も末だ」「最近の若者は」「昔はこうだった」などと言い出して自分の世代の局地的な絶対性を信じて疑わずその蒙昧な思い込みを他の世代に押しつけたりしかねないわけですが、こういうの、そろそろ終わりにしたいですよね。人類の歴史を振り返ってみるとどうやら無理みたいですけどね。残念ながら。
ここまで書いて最後に断っておきますが、「今も酷いけど昔はもっと酷かったから大丈夫」と言う発想も狂っていますので、そこは間違えてはならないと思います。言ってみれば我々の社会は常にどこかが病的であり、常に修正すべき問題が山積しているのです。また個々の事例の集積を世代論として単純化することは、世界が良く分からなくなりつつあるオッサンが犯しがちな間違いですが、表面上の安心は得られるとしても、かえって現状認識を難しくする危険を孕んでいます。
僕らがそんな大人になりませんように。新入社員に何とか族とか命名しはじめませんように。