座頭市@日曜洋画劇場

最初からこんな感想で始まってしまい、まるで物申す系サイトのようで誠に気持ちの悪い限りですが、「めくら」が全て新規の吹き替えに差し替わっていました。当サイト的には「けしからん!めくらの何が悪い!」…などと言うつもりは全くなく、どうせテレビだし、適当に日和ってればいいんじゃないの、と全然やる気なく主張しておきます。ソフトは絶版でフィルムも滅多にかからない、みたいな映画でそう言うことをやられると心底困りますが、テレビ向けの編集すべてが映画や視聴者への冒涜にあたるとは私は考えていません。映画なんて娯楽ですし、テレビ放送って基本的には消えモノだと思いますし、製作者の了解さえ取れてりゃ別にいいんじゃないですかね。程度にもよりますけど。
が、テレビで映画を見るたびに思うことなんですが、「ノーカット放送!」と銘打たない限りカット入れまくり、セリフだって変えちゃうと言う風潮は正直どうかと思います(今回みたいに邦画のセリフを差し替えるってのは相当に珍しいケースですが)。翌朝友達と映画の話をする時に、話が食い違ったりして非常に困るのです。電化製品のパンフレットで見かけるような、「画面はハメコミ合成です」程度の小さな文字でいいんで、何らかのテロップは入れて然るべきであろうと思います。いや、実は最初から見てないし最後も途中で見るのやめちゃったんで、そう言う注意がなかったものと勝手に決めつけて書いてるんですけどね。あったらごめんなさいね。
しかしそんな注意書きを入れたら入れたで、今度は今まで気にもしてなかったくせに急にムラムラしてきて「じゃあどこを変えたんですか?何でですか?差別ですよそれは!」とかキチガイな電話をテレビ局にかけてしまう暇な人が湧いてきて、テレビ局の人が色々大変になるのかも知れません。難しいものです。
さて座頭市の感想ですが、「娯楽として成り立つ殺陣を含む」と言う機能性においては近年量産された時代劇映画のどれよりも優れており、監督の野望はある程度達成されているように思います。が、芸者姉弟の悲惨すぎるエピソードはガイジン向けのあざとげなムードが漂いすぎていて全然共感できませんでしたし、タップのシーンも成功してるとは言い難い物寂しい仕上がりです。話も単純なわりに散漫で、何となくスカスカしたような印象を受けます。回想シーンもチグハグです。でも嫌いではありません。むしろこうしたシンプルで痛快な映画が年に数本作られるような世の中になれば俺は幸せです。感動とか涙とか新しさとかを強要されるのはもう飽きたので、とりあえずこう言う勧善懲悪ものでリハビリしてみたらどうかしら日本映画界。痛快でいいじゃない。