「オーラの泉」を見た

同居人が「この番組の漫才は実に面白いので見るといい」と言うので試しに眺めてみた。普段テレビを見ないので全く知らなかったが、こんな醜怪な漫才は生まれて初めて見ましたよ。あまりに酷いので怒りにぷるぷる震えていたところ、同居人に「まだまだだな」とたしなめられた。確かに修行が足りないのかも知れない。テレビって恐い。
美輪大明神と気味の悪い狸とコロボックルの三人が安いパワープレイを駆使して不条理の袋小路に出演者を追い詰めると言う珍妙な番組で、蒙昧な確信が知性を屈服させ、恐怖が理性を麻痺させていく有り様は、もはや悪趣味を超えてグロテスクそのものであった。美輪明宏はもうちょっとマトモな人だと思っていだけに本当にガッカリした。あれはもう権威主義権威主義と自覚できなくなった悪意あるキチガイでしかない。
犠牲者のオダギリジョーは若者らしい理性でもって必死に抵抗を図っていたが、3対1と言う数的不利、美輪に対するキャリア面での不利、番組としてトークを成立させねばならないというプレッシャーの前に結局は丸め込まれることを選択した。残念ではあったが健闘はした。丸め込まれる以外に選択肢がない中で、よくぞ頑張ったと喝采したい。
さて気味の悪い狸によると、オダギリジョーの横には小さな女の子がいて、背後には十一面の髑髏の何者かが立っていて、また守護霊は江戸時代の武士出身の政治思想家で、前世はイタリアの修道士なんだそうである。突っこみたいことは山ほどあるが、それはまた後で書こう。また美輪大明神によると、オダギリが部屋に飾っている「デッドマン」のポスターの図柄は「変なジジイ」なんだそうで、何でもお見通し風の態度が実は全くの当てずっぽうであることを露呈していた。美輪は「デッドマン」と言う映画のタイトルを知らず、主演俳優も知らなかった。多分ホラー映画か何かだと思ったのだろう。「デッドマン」がモノトーンの映画であることにも全く気づいていない様子だった(インテリアが極彩色であることをしきりに指摘しては悦に入っていた)。ざまあみろである。これから出演される方は、美輪も狸も知り得ない、誤解を生みやすいインテリアで部屋中を飾ることをお勧めしたい。それとマネージャーに最近買った物を教えてはならない。
狸の戦法は古典的かつ陳腐な(要するに強力でタチの悪い)パワープレイである。相手から理性的な抵抗がなされると一旦は目をそらし、相手が不安を感じるまで待機するのだ。もともと不条理な話題についての感想や質問なので、確信に満ちた表情で2分も放置していれば相手は確実にシドロモドロになる。そこを狙っていきなり「隣に女の子がいる」「後に十一面の髑髏がいる」などの跳躍的な恐怖を提示するのである。これはビビる。「自分の理性的な判断が通用しなかった」と誤解させるに余りある一撃だ。一度しか見ていないので分からないが、「後ろに誰かいる」とか言い出すタイミングは毎回同じようなものだろうと思う。自分が劣勢になり、相手に少し喋らせた直後だ。相手が攻撃的ではない場合には、慰めとしてそれを提示するだろう。そこに美輪が乗じて「お前は呪われている」「私は凄い」「あれこれを直せ」「それでもう大丈夫」とか言うのがパターンではなかろうか。完全に壺売りのロジックであり、悪意があるのならクズであるし、よかれと思ってやってるんだとしたら完全にビョーキである。

続きは後で書きます。と思ったけど書く元気が全く残っていなかった。ごめんなさい。