節分考

昨日のエントリが「突如出現したネオ伝統行事、恵方巻きに物申す!」的なニュアンスを醸し出していなくもなかったので一応訂正しておきたい。俺はクリスマスもバレンタインデーもお正月もナマハゲも大好きである。日常的に日常に飽いているため、節目を意識させてくれる行事は殆ど無条件に好物であるし、どんなに取ってつけたような行事であっても人々に求められた結果として定着するのだと考えている。サンタは歳末にやってくる来訪神として日本人の感覚にフィットしたのだろうし、ハロウィンは共感できる要素があまりに少ないためになかなか定着しないのだろう。単なる仮説ではあるが、そんなには荒唐無稽な推論でもなかろうと自分で勝手に思っている。
少しだけ不安を覚えるのは、業者によって恣意的にピックアップされたネオ伝統行事の類が、ローカリズムを壊滅させる可能性を秘めている点である。無意味な均質化は退屈だ。奇祭は奇祭であって欲しいし、秘儀は秘儀であり続けるべきである。基本的には(と言うか、かなり強く)そう言う思いがある。
が、恵方巻きの全国化は、「ローカリズムの退行」と言うマイナス要素より、「トラディショナリズムの増強」と言うプラスの要素の方が強いと俺は思っている。節分と言う節目の時に、家族揃って「今年はこの方角が縁起いいそうだ」とか言いながら縁起を担ぐと言うのは確かに幸せそうな感じがするし、方角に吉祥を見出すと言う呪術性も、最近の我々が忘れつつある感覚である。
将来的にはハロウィンが仮装祭りとして定着する可能性も勿論あるだろう。ナマハゲが全国に出現する可能性だってゼロではないし、若者のバンジージャンプが恒例となる日も来るかも知れない。どんな消費のされ方をするかは予想できないが、我々は(もちろん日本人に特有なことではなく、全人類的にだ)何となく何かを思い出せなくなりかけた時、祭りを欲するのである。そして不精者の俺は行事に参加せず勝手に退屈を募らせ思わず物申したくなるのだ。
悪気はないのよ。