加齢と凡庸な銅像

誕生日が半年ほど違う友人に、「最近お腹がやばいんだよなー」みたいな話をされて、「俺は大丈夫だろう」とひそかに思ったちょうど半年後にお腹がやばくなったと言う鮮烈な思い出がある。加齢である。誰にでも襲いかかる恐怖の現象である。
さて、皆さんも経験上よく御存知であろうと思うが、市役所やら区役所やら近所の図書館の類にはどういうわけだか退屈な銅像が設置されていることが非常に多い。文化的であることを適当に示しておきたい等の理由から、地元の年取った彫刻家につい依頼してしまうのだろうと思うが、どうして99%ぐらいの確率で全裸の女性の彫刻なのか?と言うのは永年の疑問であった。そしてその理由が最近分かってしまった。若さは素晴らしいのである。ブロンズで出来た全裸の女性は年寄りの彫刻家の妄執の結晶なのであり、遂に俺もそれが分かるようになってしまったのだった。
学生時代の俺にとっては絶対的に唾棄すべき対象であった下らない全裸のブロンズ像が、いまや「さもありなん」と言う状態である。加齢とともに襲いかかるのは肉体の劣化という凡庸な現象だ。それは誰にとっても公平に恐ろしい。それに対して若さは人生にとって実に特別な現象である。10代から20代前半の若者の皆さんについては、その意識できない非永続性を抱きしめながら、思う存分その肉体を満喫して欲しいと思う。肉体的コンプレックスにおびえている貴方は呆れるほどの大馬鹿者だ。そんな暇はない。加齢におびえる年寄り予備軍からの忠告だ。
子供の頃から大嫌いな東郷青児いわさきちひろが理解できるようになる日も来るのだろうか?本当に嫌いなのでそれだけは避けたいと思うが、いずれ許容できてしまえるのではないかと言う予感も微かにある。加齢とは凡庸さに飲み込まれることである。必ずしも醜いわけではないし、究極の美は凡庸さにこそ宿るのかも知れない…とは言え、それは遠すぎる境地である。加齢は怖い。俺はこの若さを抱きしめていよう。