下流マーケティングと業界内マーケティング

久世と言う放送作家が死んだ時、視聴者サイドのどうでもよさそうな空気とは裏腹に、ワイドショーでは連日にわたって入念な報道がなされた。故人を貶す意図は全くないが、客観的な立場から申し上げると、わりと盛大に恥知らずな手前味噌であったように思う。正直申し上げて、非常にウンザリさせられたと言うのが本当のところである。
で、しばらく経って、いつものように電車に乗っていたら、「ザ・ヒットパレード 〜芸能界を変えた男・渡辺晋物語〜」と言う本当にどうしようもなさそうな番組の車内広告が目に飛び込んできた。流石に馬鹿らしすぎて、何というか驚き呆れ果て、電車ごと燃やしたいような衝動にさえ駆られた。要するに、社内でそう言う企画が通りやすいと言う、ただそれだけの理由で世の中に発信されている代物なのだろうと思う。性根が腐りきっている。
これらのどうしようもなさは、最近やたらと目につく露骨な「下流マーケティング」と発想の源泉は同じであり、つまるところ「社内を跋扈する思考を停止した偉い人をどのように説得するか」と言う極めて卑小な目的の、極めて卑小な帰結であるとしか考えようがない。アサヒ「新生3」のCMの意味不明さ。キリン「のどごし<生>」のCMの鬱陶しさ。アサヒ「ぐびなま。」のパッケージデザインの酷さ。自然体に性根が貧乏くさい「SHOP99」の戦略に意味があると思いこんでしまったローソン「STORE100」の看板の酷さ。
これらの色々は、たとえ意味がなくてもウンと言える手がかりさえあればOKと言う責任回避型の決断が生んだ、消費者を舐め腐った代物である。架空の層に向かって虚しく打ち鳴らされた空砲である。で、それがまた適当に売れるので、またしても勘違いが幅をきかせるわけである。マーケティングこそ全てだ!
物を作る人が勘違いしないように、多少安くても気に入らない物は買わない方が良いと思う。