「ヒミズ」論〜「破壊者としての赤田健一」を読んだ
並木崇之さんという方の「破壊者としての赤田健一」という文章を偶然見つけ、読んでみたら素晴らしかったので無断で紹介します。
この論考で示されている通り、戯画的な身体性を持つ(「トムとジェリー」のように何度でも蘇る)赤田と、我々の現実に近い身体性を持つ住田の間には、明らかに深い断絶がある。住田がフィクションの住人としてメタジャンル的な葛藤を抱えていたかどうかは一旦置いておくとしても(恐らく、それはない)、作者が赤田に「稲中」的な「反復可能性」を託していた可能性は大いにあり得よう。
「一回性の悪魔」*1と目を合わせた住田は、二度にわたって「反復不可能性=一回性」の証明を身体に刻印される。一回は傷跡として。もう一回は刺青として。後者が自分の意志でなされたということは、特に注目すべき点だろう。ほとんど唐突に挿入される刺青のくだりがそれでも唐突に思えなかったのは、つまりそういうことだったのかも知れない。あれは戯画的な反復可能性への憎悪と、訣別と、裏返しの憧れだったのだ。