ドリラー・キラー@爆音上映 を見た

画家の主人公が発狂して、怠惰な人間を片っ端からドリルで突き刺して殺す。と言うか、監督が恐ろしいと思うものを恐ろしいやり方で殺戮しまくる、と言う映画のようである。あらゆるものに対する様々な恐怖症が見て取れ、その倫理観のあまりの潔癖さに陳腐に見えるシーンも多々あるのだが、やり口があまりに執拗なので、画面に渦巻く真摯さは受け止めざるを得ない。部外者なので想像するしかないことだが(動物の目ってそんなに怖いか?現代美術って不道徳なのか?)、彼らの文化圏ではある程度の普遍性を持った恐怖なのだろう。中でもキリスト教的な抑圧の強さは明確に確認できる。あからさまにキリストの磔刑を模したシーンがあり、キリスト役はホームレスで、主人公はドリルをフル回転させて彼を殺すのだが、少し爽快な程度で別に何も解決しない。
このように映画はまるで倫理的な解決を見ないが、一方で主人公は新しい状態に到達し、なぜかやたらと腹が減るようになる。異常に不味そうなピザを、異常に美味そうに食いまくるのだ。このシーンに働いているのは、恐らく「大食=悪徳」みたいな倫理ではなく、「主人公は万全に癒されて超人になったのだ」と言う喜びだろう。そんなわけで主人公は、これまで手をつけなかった聖人のような人間もドリルで殺すようになり(主人公の彼女の元彼は明らかにそのように造形されている)、見ている我々は非常にせいせいするのだった。
さて、この映画では大体の人間がドリルで刺されて死ぬのだが、なぜか不思議と生き残ってしまう人種がいる。ロックスターの皆さんである。劇中に登場するロックバンド「ルースターズ」のリーダーは、主人公に過大なストレスを与えて発狂へと導いた張本人の一人であるが、なぜか彼は一度も殺しの対象にならない。彼だけはどんな悪徳も許される上、それどころか主人公は彼を真似て女装をしたりするのである。不思議だ。そんなわけで、これは「俺はロックが大好きなんだぜ」と言った内容の映画なのかも知れず、すると冒頭の「出来るだけ大きな音で見ろ」と言う注意にも合点がいく。