クローバーフィールド/HAKAISHAを見てきた

新宿のバルト9で「クローバーフィールド/HAKAISHA」を見てきた。映画館に向かう途中、新宿三丁目の交差点で高橋ヨシキ氏が歩いてくる姿を目撃し、状況から考えてHAKAISHA帰りのように見え、すれ違いざまに表情を観察して映画の良し悪しを判定しようと思ったが無理だった。さてはて、どんなもんだったのか。
以下ネタバレするので、見てない人は気をつけてください。
映画が始まった瞬間、怪獣映画なのにビスタかよと思ったが、この作品は全編手持ちのハンディカムで撮影されたと言う設定のため、シネスコだと成り立たないのだった。なるほど。
内容であるが、単刀直入に言えばエメリッヒの「ゴジラ」に「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」を組み合わせて思いっきり金をかけたらHAKAISHAになった、と言うような映画であり、ストーリーも全くそのようなものだった。特に目新しいことは何もない。が、特に手抜きをしているわけでもないので、ちゃんとそれなりにそれなりであった。目新しさはないが、ハリウッド版「ゴジラ」を大規模にしたような戦争映像は随分と沢山見られるし、超高層ビルの破壊映像にも本当らしさがあった。そしてすごく怖い。特に音が怖い。バルト9の音響は半端ではなく(バウスシアターの爆音上映よりも爆音だと思う)、随分と恐ろしい思いをした。自分は小心者なので怖がりすぎて疲れました。結果としてとても面白かったです。
子供のようにビビりつつも、怪獣映画なのに形而上学的な黙示のようなものが一切感じられない点が凄い、などと嫌味なことも考えたが、そんなことが気になるのは自分が「ゴジラ」の国の人間だからであって、アメリカ人にとっては別にどうでも良いことなのかも知れない。あるいはアメリカ人はアメリカ人なりに、彼らにとっての形而上学的な何かを感じ取っているのかも知れない。このあたりは深入りしてみると面白そうなので、おいおい考えてみたい気がする。
文化圏の違う人々の感性は、どうにも測りがたいものがある。怪獣映画なのに怪獣が気持ち悪いだけなのは一体どうしてなのか。劇中に9.11のニュース映像そのまんまの映像が何度も出てくるけれど、アメリカ人はあれを見て何を思うのか。個人的には「アメリカ人の精神って丈夫だなー」と思うわけだが、別にそういうことではないのか。分からない。
怪獣が醜い点には重要な示唆が含まれている可能性がある。我々の「ゴジラ」と決定的に異なる点だからだ。ゴジラは原爆のメタファーであった。原爆の投下を美化したり肯定したりする気は毛頭ないが、あるパラダイムを終了させてしまうほどの究極的な破壊が、一見我々の意志や選択と関係なしに、したがって責任の所在が不明のまま、まるで天災のように、曖昧な罰として、外部から来たりくるものとして、ほとんど自動的に下されることへの幼児的な渇望がゴジラには投影されている。ゴジラとは葛藤のない純粋な破壊である。我々の幼児性が生み出した怪物であり、それ故に留保の余地なく美しいのだ。一方、クローバーフィールドの怪物とは何者なのか。globalheadさんが指摘するように、怪物は執拗にニューヨークに止まり続ける。怪物の正体は9.11の悪夢であり、「我々は、我々が知らずに育んできた醜さに復讐されるかも知れない」と言う恐怖なのだろうと思う。映画の主人公たちは一方的に災厄に巻き込まれた一般人でありながら、結局助からず、それでも愛だけを残して死んでいく(センチメンタルすぎると言う人もいると思うけれど、個人的は「わたしは真悟」みたいで素晴らしい終わり方だと思う)。町山智浩さんも指摘していたことだが、日本は怪獣映画のメッカでありながら、遂に無意味に殺されていく人たちを描くことが出来なかったし、怪獣を内在的な醜さの表出として想定することができなかった。良い悪いの問題ではないし、それが強みなのかも知れないけれど、やっぱり日本人は精神が幼児的なのだろうと思う。馬鹿がアメリカの専売特許なら、日本の売り物は幼稚さである。
ところで全然関係ない話になるが、「クローバーフィールド」には所謂ひとつのHAKAISHAに加えて、何だか分からない小さな連中が登場し、人間をガブガブ噛んで、噛まれた人間は具合が悪くなったりする。たしかに気持ちは悪かったが、どう考えても邪魔くさいだけで、映画にとって余計なエピソードのようにしか見えなかった。あれは一体何のつもりだったのか。そう言えばエメリッヒの「ゴジラ」にも小さな連中が登場して無意味に駆けずり回ったりしていたが、欧米の怪獣映画には大きな怪獣だけでは気が済まないような精神が存在するのか。あるいは「エイリアン」なんかもそうだけど、やたらと子供を産んで増殖する生物が怖いみたいな感覚があるのか。まあ怖いですがね。
そう言ったことをツラツラと考えていたところ、少なくとも「クローバーフィールド」の場合、単にラストからの逆算なのだろうと思い至った。ああいった結末を考えた場合、HAKAISHA一匹だと上手くいかないのである。魔法や呪いを駆使することのないSF的な生物である限り、現代兵器の集中砲火に耐えられないことは視覚的に誤魔化しようがなく、つまりHAKAISHA一匹なら解決は時間の問題なのである。マンハッタンごと何とかする必要は全然生じない。小さな連中の登場は、マンハッタンごと主人公を殺すための方便であり、無茶な辻褄あわせはどのように隠蔽しようと粗として立ち上ってくるものなのですね、と思った次第です。
そんなわけで、この映画の音響はとても凄かった。是非ともバルト9で見て欲しい。ネットで予約しないと大体チケットが売り切れていてどうしようもないが、予約してしまえばとても快適です。あとパンフレットが凄い。HAKAISHAと言う副題は流石に変だろうと言う現実に、執筆者全員が目を背けている様子が何とも異様で面白い。