ランボー 最後の戦場を見てきた

見てきた。予告編で車載の重機関銃を乱射するランボーの姿を見かけて以来、かなり期待していたのだが、その後見聞きした評判がどれも酷く、例に漏れずそれを真に受けたので、映画館で見ないまま上映が終わろうとしていた。が、友達が見るというのでこの際便乗した。すると、何ということでしょう!非常に真っ当で、良くできた映画だった。
キネ旬クロスレビューでは4人中4人が最低点をつけていた。彼らはどう評したか。

これが80年代を代表するアクション映画だったのなら、そのことが間違っていたのだ、とはっきり思う(寺脇研

映像技術は日進月歩だが、その悪用例を見た、と言う思いが残る(渡辺祥子

あくどい軍隊をやっつけるという大義名分のもと、念入りな残虐シーンの連打で、ごひいき筋のご機嫌をうかがう(内海陽子

ある程度まで覚悟はしていましたが、予想をはるかに超えて陰惨なできばえで、あらゆる人々のためにも本当にこれで最後にしてもらいたいと願ってやみません。/ヴァイオレンス描写の過激化が目立ちますが、そこから悲惨なミャンマーの現状を読み取ってくれ・・・・・・と謂われても、この映画でのあらゆる暴力や死が、政治的センスのかけらもないスタローンの醜悪なナルシシズム(自己満足!)のためだけに動員されている以上、あまりに無理難題というものでしょう(北大路隆志)

以上、全員1点。今までの星取り状況を観察していくと予想できる結果ではあるが、いくらなんでもスタローンを低く見すぎではないか。
少なくともスタローンは、本作を「俺様映画」としては撮影していない。ランボーは最初から最後まで登場人物にキモがられているし、また実際にとてもキモい。ランボー厭世観虚無主義は誰にも理解されず行き違い続け、例外的な親切心を掘り起こして理想主義に荷担したランボーは結局誰にも感謝されない。せっかく助け出したヒロインはランボーに目もくれず、ボーイフレンドの名前を呼び続ける。
群衆の大量死は映像技術によって最前面に押し出されるが、この類のアクション映画としては逆にモラルが際立つ。すなわち、主流的なハリウッド映画における大量死は「主要な登場人物の死に代弁させて、その他は背景として忘れることにする」と言う処理がなされるが、この映画ではそれをしない。助からなかったものは無惨に死んでいくし、主要な登場人物自身も幾度となくそれを目撃する。あるいはそのような目に遭う。
理想主義者は虚無を凝視せよ。虚無主義者は理想に照らされよ。と言うわけで、スタローンに政治的センスがないと言うのは酷い誤りだと思うし、この映画が俺様映画に見えたのなら、それは映画を見ていたのではなく、単にスタローンが憎かったのである。*[筋肉]と言うカテゴリーの人間に馬鹿でいてもらわないと何となく居心地の悪い人の反応である。アメリカ映画なので文化や宗教に対する視野狭窄も程ほどに見られるが、それも一定のレベルで踏みとどまっているし、踏みとどまり方にも意図を感じる。少なくともアホとは思えない。どうしてそこまで馬鹿にする必要があるのか。
政治や風俗、軍事面の描写がどのくらい真実らしいのか分からないので、「娯楽映画として」と言う前置きが必要になるかと思うが、アクションには創意があるし、脚本も良く書けている。「アポカリプト」が賞賛されて「ランボー 最後の戦場」が貶されるような状況があるとしたら、それはちょっと理解しがたいことだ。