レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまでを見てきた

サム・メンデスの新作「レボリューショナリー・ロード」を見てきた。邦題には「燃え尽きるまで」という物凄い副題がついており、媒体によっては「大人のラブストーリー」「感動作」などと物凄い紹介をしている。恐らく、プレスシートにそのようなことが書いてあるのだろう。観客不在の無意味な努力が忍ばれる。変な副題をつけるのもパッケージを捏造して工夫した気になるのも映画会社の勝手だが、あからさまに見苦しいと思われていることには、気づくべきだろう。一握りの人間の一時の功名心のために、全員が不幸になる。
原作の翻訳タイトルは「家族の終わりに」だそうで、そう言えば「アメリカン・ビューティー」がまったくそのような映画だったことを思い出す。で、本作もまったくそのような映画なのであるが、空恐ろしいことに今回はコメディの要素がない。幻想もない。描かれるのは我々がよく知っている現実であり、そこに出口らしきものは見あたらない。
現実は出口に連なっているのだろうか?誰もが予感しているとおり、それは終点に連なっているだけなのだろう。サム・メンデスは、そうして現実が内在的に宿しているある種の不穏さを、緻密に、丁寧に、執拗に、延々と、重ねあげていく。表現が露悪的だったら幾分マシだっただろう。しかし演出は怜悧きわまりなく、驚異的に的確で、露悪的どころか誠実であるようにさえ見える。堂々たる名作だが、真に迫りすぎており、見ていてかなりつらい映画であった。
凡庸さと虚無との結びつきを阻止するには、幻想しか手だてがないのだろうか?現実から目を逸らすことは可能だが、スクリーンから目を逸らすのは難しいので、映画を見終えたときには本当にクタクタになってしまった。そう言えば、この映画のテーマと関係あるようなないような、というところだが、「めぐりあう時間たち」のラストシーンは、本当に本当に美しかった。凡庸さとか日常みたいな地獄を超えるには、やはり幻想が必要なのではないか。そんなわけで、映画なんだからそういうものを見せろよ、などと駄々をこねてみたくもなるわけだが、かといってこの映画が駄目だと言いたいわけでもなく、いやはや、ともあれ、サム・メンデスは凄い仕事をしたよね。なんだこの感想は。
撮影はロジャー・ディーケンスで、自然光が美しく全般に素晴らしかったが、(こんなこと言っても仕方がないが)コンラッド・ホールの方がやはり好きだ。