散歩をする

無職になって何に気づくかというと、時間がないときに出来なかったことは、時間があってもやっぱり出来ない場合がありますね、ということであり、一度それに気づいてしまうと、働いていたときには異常に光り輝いていた無職のアドバンテージも、何だかちょっと色褪せて感じられる。先月から苦しめられている自家感作性皮膚炎と思しき皮膚の症状(かゆい)も完治しておらず、プールや海や温泉にも行く気がせず、そもそもお金もあんまりなく、気がつくと7月も下旬になってしまった。みんなが夏休みになると、ますます無職のアドバンテージは色褪せていく。これは非常にもったいないことだ。貧乏だろうと面倒くさかろうと、何でもいいから遠くに出かけてみるべきなのかも知れない。
本日は同居人も仕事が休みだったので、二人でテクテクと散歩に出かけた。ガリガリ君をかじりながら、特に目的もなく、隣町の隣町まで歩いて移動し、お店やら街並みを眺め、メロンパンを買って帰ってきた。知らない街をウロウロするのはとても楽しい。往きの道すがら、久々に「ドブ川」と断言できる見事にきたないドブ川を発見した。面白かった。
住んでいる街に戻ってきて、近所の焼鳥屋で鰻の蒲焼きをお買い上げし(昨日が土用の丑だったので、今日は安くなってると思ったのだが、特に値引きはされていなかった)、そうめんをゆで、なすを焼き、それらを並べてむしゃむしゃと食べた。良い日であった。
取り立てて偉大なことをしなくても、なぜか記憶に残る一日と、そうでもない一日とがある。不思議なものだ。