日食

無職なので、ベランダに出てボーッと空を眺めてみたが、太陽がどこにあるかも分からない一面の曇天で、日食を見ることはできなかった。探し方が悪かったのだろうか。しかし探さないと太陽の位置が掴めない時点で、見えても分厚い雲越しだろうし、雲の切れ間はどこにも見えないし、結局良くは見えなかっただろう。残念だった。仕方なく、住まいの周囲をグルグルと歩き回り、部分日食の太陽光に照らされながら時間を過ごした。たしかに外は薄暗く、ある時間から急に空が明るくなり、単なる曇り空の推移とは異なる何かであるような感じはした。気のせいかも知れない。
NHKにチャンネルを合わせると、硫黄島と太平洋上から皆既日食の様子が中継されていた。太平洋上からの映像は時差中継だったが、それでもほとんど生で見られたのは幸いだった。
空がどんどん暗くなり、やがて夜のようになり、星があらわれる。水平線が夕焼けで囲まれて、上方に真っ黒な太陽が浮かんでいる。写真はさんざん見てきたが、十分な画質の動画で日食の一部始終を眺めたのは生まれて初めてのことで、たいそう感動してしまった。
中継を見ていて印象的だったのは、皆既日食にさしかかると、現場のレポーターの声がわなわなと震え出してしまうことで、恐らくは本当に尋常な景色ではないのだろう。テレビで見ても言葉を失うような美しさだから、実際に体験したらどんなに凄いのか。一方で、天文学者の声は震えていなかった。流石だ。
作家の赤瀬川原平が、以前(1988年?)に皆既日食を体験したときの文章がある。場所は小笠原諸島のさらに南の太平洋上とある。

 まず欠けはじめの太陽を日食用サングラス越しに見た。これはいままでにも経験がある。ところがその「食い込み」がさらに進んで細い三日月状になってくると、さすがに辺りがうっすらと暗くなった。お昼前で空はまだ青いが、太陽に向って左下の方に星が一つ光り始める。金星だ。白昼の金星を見たいと思いながら果たせずにいたが、その思いのほか強い光に感動した。それなら・・・・・・、と視線を太陽方向に少しずらすと、あった、木星である。金星の光よりはかなり弱い。
木星も見える!」
 と叫んでしまった。四個の衛星を見ようと双眼鏡を構えたが、甲板が揺れるのでいまひとつ確認できない。
 しかしそんなこともしておれんのだ。サングラスでのぞく太陽の光はいよいよ細く、もう裸眼でもいいのか、いややはり裸眼では目が潰れるか、と迷いながら裸眼で見るうち、細い光はなおも縮んで最後の一点に集まり、そこがトローンと光ってる。ダイヤモンドリング二秒ほどか。そして太陽は真っ黒になった。
 完全に我を忘れた。このときスリが一万円札をスッて行ってもぜんぜんわからぬ。太陽の周囲に美事なコロナがひろがっている。プロミネンスが上と下に一つずつ出ている。ハッキリ肉眼で見える。双眼鏡を向けると、いままでに見たこともない色、透明なピンク色。世の中の目に見えるものの美しさの焦点。すべての理屈が蒸発して、完全に宗教である。
 本当は某科学誌の取材で行ったのだけど、思わず昂奮して先に書いてしまった。いままで自分の目でいろいろなものを見てきたが、この美しさは文句なく第一位である。(赤瀬川源平『じろじろ日記』筑摩書房/ISBN:9784480031853
※太字は引用者

赤瀬川原平にここまで言わせる光景というものは、一体どんだけのもんなのか、と思う。NHKのレポーターが声を震わせながらもちゃんと喋っていたのは、やっぱり相当に大変なことだったにちがいない。うーむ。死ぬまでに一度は体験したいと思う。
現在自分は無職なので、またとない日食観測のチャンスだったわけだが、残念なことに家にいた。少し反省したい。