ミュンヘンを見た

久々に映画館に行けたので嬉しい。スティーブン・スピルバーグの最新作「ミュンヘン」を見てきた。封切りから最初の水曜日と言うことで、遅い時間ではあったが客席は7割程度埋まっていた。PG-12指定。3時間近くある映画だが、長さは全く感じさせなかった。トイレの近さには定評のある俺が言うんだから本当だ。
スリルとウンザリするような恐怖、アクションと体力を奪うような後ろめたさを次々に畳みかける、悪意に満ちた演出が見どころの映画である。スリルやアクションの快楽を徹底的に欺き続けるこれらの摩擦的・葛藤的要素は、明らかに意図的に設計され、周到に配置されている。テーマよりも細部に執着し、掴み所のない虚ろなメッセージを発信し続ける昨今の「病気のスピルバーグ」の集大成的作品と言えなくもない。冒頭のデ・パルマじみた二次映像の嵐から始まって、緻密かつパラノイアックかつキチガイじみた演出が全編に渡って炸裂する。もちろん誉めている。全くあきれるほどの技巧である。3時間後には重々しい何かが心の奥底に残るだろう。
大筋のテーマは「home」であり(毎度おなじみの父子関係についてのこだわりも健在だ)、「我々は如何にして大義名分に抵抗しうるか」と言う問いかけなのだと思うが、細部から滲み出るのは人間の(感情ではなく)感覚の不確かさについての挑発である。これは「A.I.」や「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」あたりでもチラチラと見せてきた態度ではあるが、今回は全編にわたってそればっかりやっているのでかなりの見応えがある。フィクションが持つ娯楽性そのものにさえ言及するかのようなスピルバーグ陰鬱な精神が存分に堪能できることだろう。撮影はスピルバーグ組の常連となったヤヌス・カミンスキーで、所々やりすぎの感は否めないものの素晴らしい仕事ぶりを見せていた。独特の水色がかった気味の悪い映像美スピルバーグの感性と良くマッチしている。もちろん誉めている。プロダクション・編集・音響・音響効果もレベルが高く、ビックリして何度か心臓が止まりかけた。爆破シーンの怖さは特に印象的である。耳鳴りまでデザインしているのは新しいと思った。
「ロスト・ワールド」を最後に、スピルバーグは明快な娯楽映画を撮ることを止めてしまった。ハリウッド式のジェットコースター的起承転結をさっぱりと放棄し、物語を枝葉に迷い込ませることに異常な執着を示すようになってきた。最近作の「宇宙戦争」を見ていないので半ば決めつけになってしまうが、「ターミナル」や「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」の不可解な取り留めのなさを記憶している人は多いであろう。最も壮絶だったのは「マイノリティ・リポート」で、これに至っては途中から眼球を巡る暗黒漫才に物語の全体をシフトすると言う超越的な脱線を敢行してみせた。やっぱり何か狂人めいている。
今回の「ミュンヘン」も、脱線こそないものの明快な娯楽性が極端に乏しく、「泣けた」とか「感動した」と言った具体的なリアクションが取りにくい作品になっている(ショックにおののくと言うリアクションは何度も強いられると思うが)。とりあえず泣きたい人や感動したい人、誰かをデートに誘おうと思っている若者の皆さんについては充分に注意していただきたいと思う。一方、社会派の映画を好む人、スピルバーグの変態的な技巧そのものに楽しみを見出せる人には絶大に推薦したい逸品である。パレスチナ問題や背景となる宗教、当時の情勢に詳しいと、リアリティが増して(自身もユダヤ系であるスピルバーグの葛藤やエゴを鑑賞することも含めて)更に楽しみが増えると思うが、前知識なしでも充分に楽しめる。いや、何も分からない俺が観て面白かったんだから本当だ。
読み返してみたらあまり誉めていないように見えるので追記するが、この映画の最後に用意されている対決シーンは、短いながら見事であった。